時の流れにも失われなかった味。
失われてはならない味。
当店はそんな栃尾の伝統の味を大切に、
頑なに守り続けております。
「栃尾の油揚げ」を語る上で、最初に伝えなければならない事があります。
それは上杉謙信公が毘沙門天とともに生涯信仰していた火伏せの神、秋葉三尺坊大権現の存在です。
天文20年(1551年)常安寺の守護神として上杉謙信公が岩野蔵王堂から自身の旗揚げの地、栃尾に鎮座したと伝えられ、遠州秋葉山と共に秋葉信仰の二代霊山の1つとして有名な場所となりました。
江戸時代の中期頃になると秋葉神社はもっとも隆盛を極め、近郷近在はもとより、遥か佐渡や上州、会津などからも絶えず参詣の信者が訪れていました。
これだけ多くの信者たちの為に、何か特別な土産を、と考えられたのがこの「栃尾の油揚げ」でした。
その後、栃尾の馬市で馬の売買が決まったときに酌み交わす酒の肴に好まれ、豪快な仲買人たちが手づかみでき、しかも満腹になるようにと今の大きさになったと言われています。
その悠久の歴史を経て、全国でも稀に見る正にこれぞ「栃尾の油揚げ」がここにあります。
毘沙門堂本舗は中国より伝わった豆腐づくりの製法(生しぼり製法)ではなく、日本の豆腐職人たちの手により進化を遂げ、古くは江戸時代より行われていた「加熱しぼり製法」を採用しています。
この生呉※を煮てからしぼる「加熱しぼり製法」は、大豆特有の栄養素「タンパク質」「イソフラボン」「オリゴ糖」「サポニン」「レシチン」をしっかり抽出でき、大豆が本来持っている甘み・コク・苦味のすべてを無駄なく味わう事ができます。
当店がこだわる糖度17以上の濃厚な豆乳はこの「加熱しぼり製法」なくして実現できません。
※生呉とは、大豆をしぼる前のペースト状態のことです。
豆腐の作り方
豆腐づくりはまず原料の大豆を水につけることから始まります。水を吸ってふくれた大豆をすりつぶし、それを煮た後でこします。この時にできるのが「豆乳」です。ちなみに、豆乳をしぼった後のかすが「おから」です。豆乳に凝固剤を加えて固めれば豆腐の完成です。
大豆をすりつぶすことで、固い組織をこわし、こすことで余計な繊維を取り除くことができます。そのおかげで、消化吸収が大変良くなるのです。実際、豆腐を食べたときのたんぱく質の消化吸収率は95パーセントと言われます。豆腐は、無駄なくたんぱく質をとれる、大変優れた食品なのです。
また製造過程で熱を加えることで、大豆の青臭さも取り除くことができます。
ところで、江戸時代の文献によると、豆乳を作る前に加熱する方法(「加熱しぼり」)で豆腐が作られていたことがわかります。同じ頃、中国では豆乳をしぼった後で熱を加える方法(「生しぼり」)で作られていました。
2つの方法のうち、「加熱しぼり」の方が大豆のたんぱく質を無駄なくしぼり出せます。また、大豆をすりつぶすと、含まれている油分が酸素によって急速に酸化してしまいます。これを防ぐためにも、「加熱しぼり」が有効なのです。
シンプルな豆腐の中には、大豆の栄養を無駄なく食べる知恵がつまっているのです。
四季を通じて水温の違いによる水入れの時間差調整や
それに伴い戻した大豆の堅さに合わせた磨り石の微調整により
毎日均一な大豆を水に浸し、磨り潰し、
安定した大豆ペースト(生呉)を保っています。
磨り潰した大豆ペースト(生呉)をしっかり煮てから
豆乳とおからに分ける「加熱しぼり製法」を採用しています。
大豆の皮に含まれるエグミや苦味も出てしまいますが
それを補って余りあるほどの甘みとコクが強い
濃厚な豆乳をしっかりしぼる事が出来ます。
コクのある豆乳こそ毘沙門堂の栃尾の油揚げの命です。
しぼった豆乳をカイで勢いよく撹拌し、
にがりを投入して素早く凝固させます。
もっとも緊張する瞬間であり、
高度な技術を必要とします。
凝固した豆腐を型に入れ水切りし水槽に浸します。
そしてやわらかい生地を簾に並べ、
油圧プレス機でゆっくりじっくりと押すことにより
しなやかな弾力のある生地が出来あがります。
まずは低温の菜種油でじっくりと揚げ、
生地の中心まで熱が行きわたった頃に高温に移し、
生地に含まれる水分を膨張させて一気に膨らませます。
豆乳密度の多いむかしづくりの生地は薄皮で中身はとても瑞々しく
柔らかくふっくらずっしりと仕上がります。
栃尾の油揚げは串に刺して油を切ります。
そしてその穴から中身の熱を放出させる事により
収縮を抑え独自の厚みを保ちます。